プロジェクトストーリー

“パークで見た夢の続きを”大阪の地に新たなユニバーサル・スタジオ・ジャパン®・オフィシャルホテルを開業せよ!

ザ パーク フロント ホテルアット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン® 開発ストーリー

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®から最も近いオフィシャルホテルとして、2015年8月に開業した「ザ パーク フロント ホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®(以下 パークフロントホテル)」。パークの新しいシンボルとして話題を集めた同ホテルには、開業に至るまでに多くの物語があった。プロジェクト成功の立役者である武井に、当時のエピソードを聞いた。

第1章【発端】

見過ごされていた、“恵まれた土地”

2001年3月。ハリウッド映画の世界を体験できるテーマパークとして、大阪市にユニバーサル・スタジオ・ジャパン®がオープンした。以来、近隣エリアでは公共交通網が発達し、それに伴いさまざまな関連事業が誕生してきた。それにも関わらず、パークの開業から10年以上が過ぎても、手を付けられることなく更地のままとなっていた空き地があった。パークの最寄り駅から徒歩1分。パークからも徒歩1分。そんな恵まれた条件を有する同地で、武井の約3年間にわたる奮闘は始まった。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®のすぐ側に未利用地があることは、実はパークの開業当時から大阪市の懸案事項だったようだ。2012年、当時の大阪市長はその問題を解決すべく、開発着手への声を挙げた。
この大阪市が保有する土地の開発を行うにあたり、民間企業のコンペティションが開催されることとなった。その頃東急ホテルズの店舗開発に従事していた武井は、当時の背景をこう話す。

「今後のインバウンド需要増加が見込まれている中で、当社としても関西地方、特に大阪でのブランド展開は急務でした。そのような状況下で、この土地の活用の話を、取引のあったゼネコンとホテルアレンジャーの2社から同時にいただいたのです。後になって、その2社が実はプロジェクトのパートナー同士で、偶然にも2社別々に私たちに声をかけたということがわかりました……不思議な縁ですよね。旧知のパートナーということもあり、アライアンスを組むまでに時間はかかりませんでした」 当時、年々増加する来阪客に対するホテル不足が懸念され始めており、事実、余剰地周辺ホテルの稼動や単価も他のエリアを圧倒する伸びを示していた。大阪で、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®のまさに「目の前」という恵まれた地に、新たなユニバーサル・スタジオ・ジャパン®・オフィシャルホテルを開業する───。そんなビックビジネスに、武井の心が燃えないはずがなかった。

この地を活用するなら、ホテル以外にない─── その確信のもと、武井はホテル建設のためのプレゼンテーション案を作成。提出した案と、何よりも武井の熱意が大阪市に高く評価された結果、見事に受注を果たす。そうして、無事にホテル建設プロジェクトが正式に始動することとなった。

第2章【始動】

正しく、誠実な仕事をする。
そして、本来の業務の枠を超えて…

オープン目標を2015年の夏として、コンセプトメイクや事業計画の策定といった具体的な業務が進行し始めた。その際の武井の役割は、ホテルの所有者となるオーナーと交渉し、開業に至るまでの事業資金の投資に基本合意を取り付けることだ。しかし、オーナー自身はホテル事業に関しては門外漢である。多額の出資を取り付けるためには、ホテル経営のイロハを理解してもらう必要があった。

「『収益が上がりますよ!』と、うまいことを言ってその気になってもらいさえすれば、確かに多額の出資は得られるのかもしれません。しかし、長期的な利益を生むためには、それに伴うリスクについてもご理解いただく必要がありました。リスクに言及することで、結果としてオーナー様が出資を減額するという決断をする可能性はありましたが、それでも私たちは公正な仕事がしたかった。嘘はつかず、現実に基づいてホテルのお金の動きや仕組みを一からご説明しました」
実は武井は、以前ファンドマネジメントに携わっていた経歴を持っている。その際、投資家がどのような視点で事業を見ているのか、そして投資のためにどのような情報を欲しているのかを学んでいた。「公正な仕事がしたい」。その想いは、その頃の経験から生まれていたのだ。

その武井の誠実さに、オーナーも信頼を寄せてくれた。結果として100億円を優に超える多額の投資を決断してもらうことができ、お陰で建屋の建設や開業準備にかかる資金は充分に確保することができた。そして、そのときオーナーに掛けてもらった言葉が、パークフロントホテルにおける武井の立場を決定付けることになる。

「『私は、武井さんに投資をしたんです。開業まで一緒にやってくださいませんか』と。本来なら、私の役目はオーナー様との契約で終了するはずだったのですが……。しかし、そうまで言っていただけたら、無碍に断るなんてできるはずがありません。そこで会社に話を通して、本部での業務と並行して、パークフロントホテルの開業準備室長を兼務することにしました」
プロジェクトの「仕掛け人」から「見届け人」へ。武井はパークフロントホテルを開業のその日まで導くという、重要な役割を担うことになった。

第3章【障壁と打開】

“夢の続き”を実現するために

建屋があり、フロントがあり、レストランがあり、客室がある。最低限それさえ揃っていれば、ホテルとしての体裁を整えることはできる。しかし、当然それだけでは利用客を喜ばせることもできなければ、「選ばれる」ホテルにもなり得ない。「どのようにお客様を楽しませるのか」というコンセプトが、ホテルには重要な要素だ。

「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®から最も近いホテルになるということは、お客様はユニバーサル・スタジオ・ジャパン®を楽しんだ余韻を強く持ったままホテルにお越しになるということです。そこで、コンセプトは『パークで見た夢の続きを…』と掲げました」
それまでパークで見てきた夢の続き。あるいは、これから見る夢の序章。パークへの期待と興奮に胸を膨らませている人々が利用するホテルだからこそ、その想いをすべて受けとめる演出が必要だと考えたのだ。

しかし、オフィシャルホテルはパークフロントホテルだけではない。近隣では、既に4つのホテルがオフィシャルホテルとして賑わいを見せていた。

「『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®』という共通した世界観を用いながらも、お客様をあっと驚かせるような独自性を発揮することができなければ、パークフロントホテルを選んでいただくことはできません。他のオフィシャルホテルとどのように差別化をしてお客様に楽しんでいただくのか……それが最も難しいところでした」
差別化のためには何が必要なのか。コンセプトメイクに携わるスタッフにも協力をもらいながらアイデアを出し合った。しかし、多くの人々の知恵を結集してもなお、一筋縄ではいかない課題だ。

ときには、互いの立場に気を遣い合い、本意の見えない話し合いを繰り返したこともあったそうだ。しかし、事態が深刻な様相を呈してきたときほど、武井は意識していたことがある。それは、各担当者とできるだけ1対1の対話の場を作り、解決の糸口をともに探ってもらうことだった。

「主張がどうあれ、『お客様に楽しんでもらいたい』という気持ちは皆同じです。その想いを結集してより強い物にしていくことが、問題解決には不可欠だと思いました」
その武井の想いに応えるように、地道な話し合いの中から、徐々にスタッフ間の信頼関係が生まれ始めた。たとえ意見が対立しても、ともに解決法を探そうという意識が自然と生まれ、プロジェクトに携わる全員がまさに「同じ方向を向き始めた」という。プロジェクトを成功に導く土壌が、このときようやく整えられた。

「そんな中で生まれたのが、随所に『アメリカ』の要素をちりばめていくというアイデアでした。ユニバーサル・スタジオ®はアメリカ発祥のテーマパークですので、アメリカへの憧憬の気持ちを刺激する作りにしよう、と」
実は、現在のパークフロントホテルは、上から見下ろすとアメリカ本土になぞらえた作りとなっている。また、エレベーターをタイムマシンに見立て、各階それぞれ年代の異なるアメリカの文化を象徴した内装となっており、階を移動する度にさまざまなアメリカの姿を垣間見ることができるという力の入れようだ。

「もちろん、レストランもアメリカを意識してハワイアンダイニングにしました。ここまでコンセプチュアルに作り込んだことは今までなかったので、アイデアを出すのは本当に大変でしたが、結果として非常に面白い仕事にすることができました」
Trip to the USA ───。一歩足を踏み入れれば、そこはもうアメリカ。ロビーはもちろん、客室の調度やレストランなど、細部に至るまで「アメリカ」という統一コンセプトに基づいて演出された。

その企画が奏功し、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®からも高い評価を得ることができたという。夢の続きを演出する……。その実現不可能に思われた理想は、大阪の地に新たなアメリカをつくるという武井の大胆な発想によって結実した。

第4章【夢の実現】

ホテル開発をこえて、やりたかったこと。

開業を翌日に控えた2015年7月31日。各メディアを招待したレセプション会場に武井の姿があった。マーケティング、コンセプトメイク、人材の採用・育成から協力会社の選定、予算の策定……さまざまなマネジメントをこなし、ザ パーク フロント ホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®開業の立役者となった武井。まさに自分の「子ども」とも言えるこのホテルを、メディア関係者に向けてプレゼンテーションするという大役を担ったのだ。このプロジェクトにおける武井の奮闘を考えれば、当然のことと言えるだろう。

改めて今回のプロジェクト、何が最も大変だったか? 武井に問いかけると苦笑混じりにこう帰ってきた。
「このホテルには、『東急ホテルズ』の名前が入っていないでしょう? 実は、ホテルに名前を付けるのが一番大変でした」
更地に客室数600ものホテルを創りあげるには、こなしきれないほどの業務も調整事もあっただろう。だが、最も苦労したのはネーミングだと言うから意外だ。

「『ザ パーク フロント ホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®』を、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®からとても評価していただいたんです。そこで、直営ではないながらも『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®』の名前を使用することが許されました。そのため、最終的にはパークの冠の付いたオフィシャルホテルらしい名前にすることができました」
オフィシャルホテルの名に恥じないよう、利益にこだわるよりも、まずはお客様に「素晴らしいホテル」という印象を持ってもらえるよう、東急ホテルズが築き上げてきたノウハウを用いて頑張っていこう───。武井の「ホテルマン」としての志は、揺るがない。

「その他に大変だったこと? それは、色々ありました。でも、いざ、ザ パーク フロント ホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®がオープンして、たくさんのお客様に喜んでいただいているのを見ると、すべて良い思い出です。開業して、小さなお子さんがホテルのロビーに入った途端、『すごい、すごい!』と飛び跳ねて喜ぶのを見たとき、『ああ、私がホテルマンとしてやりたかったことは、これだったんだ』と思って、胸がいっぱいになりましたよ。そんな経験をしてしまったら、仕事の苦労なんて何のその、です」
大阪の地でたくさんの人々を夢の世界へと誘っているユニバーサル・スタジオ・ジャパン®。その傍らで、同様に多くの人々に夢の続きをつむいで見せるホテルには、武井をはじめとするさまざまな功労者達の想いとストーリーが詰まっている。

profile

事業戦略部 部長

武井 隆Takashi Takei

1988年入社/経済学部経済学科 卒

新卒従業員から贈られた
メッセージボード

健康とリフレッシュのために始めたジョギングが高じて、8年前に社内で駅伝サークルを立ち上げた。30人近い部員はもとより、ザ パーク フロント ホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®のオーナーとも一緒にマラソンを楽しむ仲だとか。社内外関わらず人との繫がり、連携をとても大切にしており、自らが採用したパークフロントホテルの新卒従業員30人からのメッセージボードは一生の宝物だという。

career

  • 1988年

    (株)東急ホテルチェーン入社 横浜東急ホテル 客室ベルボーイ配属

  • 1991年

    同社 本社 総務部総務課

  • 2000年

    同社 総務課長
    東急電鉄と東急ホテルチェーン社のホテル事業統合に向けた事業再編成を担当

  • 2008年

    (株)東急ホテルズ 店舗開発部 課長
    ザ・キャピトルホテル東急、神戸ホテル東急ビズフォート(現 東急REIホテル 以下同)、博多ホテル東急ビズフォート、那覇ホテル東急ビズフォートの開発を担当

  • 2012年

    同社 経営企画部 次長

  • 2014年

    ザ パーク フロント ホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパン®開業準備室兼務

  • 2015年

    事業戦略部 部長

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